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樹脂加熱の基礎知識-2 樹脂の歴史-2 合成樹脂の発明

史上初の合成樹脂

歴史上はじめて工業化された合成樹脂のセルロイドは、象牙から作られていたビリヤードボールの代替え材料として誕生しました。

樹脂加熱の基礎知識-2 樹脂の歴史-2 合成樹脂の発明

象1頭の象牙から、8個よりも多い量のビリヤードボールを製作することが出来なかったといわれています。
1800年代中頃にはビリヤードボールに使用する象牙需要の高まりにより、驚く程の数の象が殺されました。
象の絶滅の危機が叫ばれ、ビリヤード業界は象牙の供給に対する危機を感じました。
ニューヨークに拠点を置くビリヤードボールのメーカー、フェラン・アンド・コレンダーは1万ドル(2015年6月換算で約2150万円)の懸賞金を掲げ、象牙に代わるボールの素材を募りました。

 

 

 

フェラン・アンド・コレンダー社の共同経営者 マイケル・フェラン (Michael Phelan April 18, 1819 – October 7, 1871)とヒューゴ・W・コレンダー(Hugh William Collender  December 23, 1828 - April 1, 1890 )

フェラン・アンド・コレンダー社の共同経営者 マイケル・フェラン (Michael Phelan April 18, 1819 – October 7, 1871)とヒューゴ・W・コレンダー(Hugh William Collender  December 23, 1828 - April 1, 1890 )

 

 

 

フェラン・アンド・コレンダー社

フェラン・アンド・コレンダー社

 

 

 

アレキサンダー・パークス(Alexander Parkes、(29 December 1813 – 29 June 1890)

アレキサンダー・パークス(Alexander Parkes、(29 December 1813 – 29 June 1890)

1856年にイギリス人アレキサンダー・パークスによって人類初の合成樹脂が作られました。
パークスはこれを「パークシン」と命名して売り出したがコストの問題から失敗に終わりました。

 

 

 

ジョン・ウェズリー・ハイアット(John Wesley Hyatt、1837–1920)

ジョン・ウェズリー・ハイアット(John Wesley Hyatt、1837–1920)

1869年、アメリカの発明家ハイアットは、ビリヤードボールの素材にニトロセルロースを使用することに成功しました。
そして、彼の製造会社が「セルロイド」として商標登録しました。(米国商標登録第50359;今ジェネリック商標)
マイケル・フェランが死亡したため、ハイアットに懸賞金が授与されたかどうかは明確に分かっておらず、証拠も見つかっていません。
セルロイドは、樟脳とにニトロセルロースを混ぜて作られます。
加熱すると、粘度のように柔らかくなって加工しやすくなり、型に入れて冷やして固めると製品が出来上がります。
セルロイドは燃えやすい性質があったため、代替材料として、ベークライト、クリスタレートや他のプラスチック化合物等、ボールの素材に様々な合成物質の使用を試みました。

 

 

 

石炭化学時代

石炭化学時代

石炭の利用は他の燃料同様古く、古代には発見され、燃える石ということは知られていました。
時代が下って近世ヨーロッパで製鉄産業が盛んとなったころに、木材が不足したために大規模に利用されるようになりました。
また、蒸気機関の燃料としても用いられ、産業革命の成功の大きな要因でした。
本質的に炭素の塊である石炭は燃料としての利用が主用途でした。このことは現在でも変わりませんが、工業と化学の進化に伴い化学的にどのような物質であるかということが知られるようになりました。

また、石炭を乾留することで生じる石炭ガス、コールタール及びコークスの利用法も確立されていきました。

石炭ガスは1600年に発見されており、およそ200年後に照明用のガスとして実用化されました。
19世紀の霧のロンドンを照らしたのはこの石炭ガス灯です。
コールタールは1655年に乾留によって生ずることが見出され、溶媒や防腐剤として用いられました。
また、コールタールの蒸留によって各成分が単離されることにより、ベンゼンやトルエンが発見され、化学の進展に大きな役割を果たしました。
ベンゼン等の芳香族化合物は人工色素などの化学製品、初期の化学工業の主要な製品の原料となりました。
また、コークスは銑鉄を作る際など、鉱石の還元剤として利用されています。

1910年ごろ、フリードリッヒ・ベルギウスによって石炭の液化法(ベルギウス法)が開発され、ドイツや日本など油田が確保できない先進国によって盛んに研究されました。
特に日本では南満州鉄道や帝国海軍での研究が知られています。

20世紀前半に石油化学が誕生し、その後ベンゼンやトルエンが蒸留や精留によって得られるようになると、化学原料の主流は石油に移っていきました。
しかし、石油の可採年数が有限であることが認識されるにつれ、石炭の液化が再び注目を浴びています。
地球温暖化の懸念から石炭の利用は控えられる傾向にあるため燃料としての石炭の価値は不安定ですが、天然に存在する純度の高い炭素源として一定の価値を持ち続けるものと考えられます。

石炭はベンゼン環やピリジン環、シクロヘキサン環が縮合した多環化合物がアルキレン (−CH2−) によって架橋されているという構造を持っています。
このことは亜炭から無煙炭まで基本的に共通します。炭素の割合は縮合の程度によって決まり、一定量の窒素や酸素、硫黄を含んでいます。
モル比では4割程度が水素であり、単純な炭素塊ではありません。

また、このような高分子の隙間には乾留などで揮発する低沸点の小さな分子があり、石炭を乾留するとこのような成分や弱い結合が切断されて石炭ガスやコールタールになるものと考えられています。
乾留に必要な温度は 300 ℃ から 500 ℃ です。

その後、パルプ等のセルロースを原料としてレーヨンが、石炭と石灰石からできるカーバイドを原料にポリ塩化ビニルなどが工業化されました。

石炭の液化は石炭の炭素間の結合の切断や水素の付加によって行われます。
これはベルギウス法として知られていますが、代用ガソリンにするためにはオクタン価を高めるために異性化が行われ、これに用いられる触媒も開発されています。

石油化学時代

石油化学時代

石油は古代よりその存在を知しられていました。
メソポタミアやエジプトでは、防水や防腐剤などの材料として使われていました。

日本では、原油は臭気により、「くさいみず」といわれていました。
ちなみに、秋田県の草生津川、山形県の草津・草津川、新潟県の草生津・草水・臭水など、いずれも石油含有土のあった土地の名や、そこから流れ出る川の名です。
新潟県の胎内市には、古くから黒い原油が流れていたことから黒川という地名がついた場所もあります。

ただ、燃えるという性質は広く知られており、「日本書紀」によれば、天智天皇の7年(668)に、「越国、燃ゆる土燃ゆる水を献ず」と記述されています。
「燃ゆる土」は天然アスファルト、「燃ゆる水」は石油と考えられています。
僅かですが、現在でも「黒川油田」として採油されています。

石油が化学製品の材料として用いられるようになったのは、石炭に遅れること約300年のことです。
その鏑矢となったのは1920年にアメリカのスタンダード・オイル社がプロピレンからイソプロパノールを合成したことであると考えられています。
それ以降急速に石油から化学製品が作られるようになりました。
ポリエチレンや、ナイロンのような合成繊維や合成樹脂のみならず、酢酸やアルコールのような発酵によって作られていた化合物も石油を材料として作られるようになりました。

1970年代には工業用部品として使用可能なエンジニアリングプラスチックが開発され、
1980年代には更に高度なスーパーエンジニアリングプラスチックが使用されるようになりました。
これらの合成樹脂は金属に代わる新たな素材として注目されています。

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